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メンヘラへの道1 世界線がズレた日

自分語り ライフハック

 

menhera-wakasan.hatenablog.jp

ワカさんの記事を読んで書かずにはいられなかったので。ネットに類似例がなくて生き方の指標がない点は同じなので書こうと思います。とは言えワカさんと違う点が3点あります。

 

 

・虐待されてない

・出資は条件付きだがあった

・友達はいる(メンヘラとセクマイオープン)

 

 

 

 1記事で終わりそうにないのでダラダラ更新します。

 

 

現状を見ると実家は子供か何かしらの話題を挟まないと会話が出来ない家でした。それで私は躓き転職活動してる訳です。模範的なコミュニケーションが分からないのでこれから学ぶしかないのです、まだ死にたくないんで。また、私は親戚をひっくるめても姉の立場。小学生の時には3歳児のいとこに親戚の愛を全部取られてました。結局小さい子が可愛い訳です、大人達にとっては。「自分より弱いから構ってやってるだけだ」と気づきました。小学生の頃は、男子に歯並びが悪くて虐められており、母に助けを求めましたが「自分でなんとかしなさい」と怒られました。同時期、母の親戚が結果的に一家離散しました。その時は「子供なんだから大人の会話に入ってくるな」と言われました。大人にも子供にも混ざれない私は宙ぶらりんでした。

そして、弟とよく比較されては罵倒されました。「姉なのに何故できないの」と。

 

 

男子から逃げるため中学受験し、女子校に入学しました。母の「自分で何とかしろ」を体現したのです。しかしそこでは優等生扱いされた結果目立ってしまい、再び虐められました。母にまた相談しましたが聞く耳を持っていませんでした。「学校に通っているというメンツを貫きたいだけだ」と気付き、私は相談するのを止めました。友達が転校する悲しみも机とロッカーを荒されて死ねと言われる毎日をもみ消しました。そして心理学系の本を図書館にある分は読めるだけ読んで、俗に言うヘルプサインを絶対出さないようにして生きました。

 

高校はエスカレーターでした。自分を偽るとか騙す技術が板につき、表で優等生と持ち上げられて、裏でオタクと罵倒される日々は完全に実家に隠し切っていました。内も外も敵でした。

大学受験で私は母と大喧嘩しました。私は美術系の進路と1人暮らしを希望しました。理由は、大学実家を出て且つ彼らに興味がない分野に行くことが、最短ルートでこの環境を抜け出す策だったからです。そして人を虐める奴等と同じ分野に行きたくなかったからです。母が突きつけた条件はこうでした「現役で合格しなかったら行かせない」

 

 

 

3年の春休み前に3.11が起き、街は破壊されました。友達と絶交したが生徒会の仕事は一緒にしなければならず、頼りにしていた先輩は消えました。私のメンタルは荒れました。しかし母の突きつけた条件は変わりませんでした。画塾の夏期講習の時には追い詰められているストレスで胃液が込み上げ嘔吐、秋にはアンクルカット。それでも条件は緩まず、ただひたすら勉強して推薦合格をしました。

 

 

 

 

 

大学1年生のGW明けに、私は原因不明の目眩に襲われました。何度かそれがあって最終的にパニック障害と診断されました。つまり、実家を離れた瞬間に私の心はぶっ壊れました。否、偽るのがもう無理になったのでした。

 

 

 

今、私は実家との最終的な縁切りを目指しています。仕事を決めて好きに生きたい。しかし、環境のせいで会得できなかったコミュニケーションスキルが邪魔をしています。それでも生きるしかないんです、生きていたいのです…3.11のあの日、私は背の高い木性の本棚に囲まれた生徒会室で会長と仕事をしていました。ここにいることを誰も知りません。揺れた瞬間、意見が割れました。出るか出ないか。私が意見を押し通して外にでました…数時間後、生徒会室は会長曰く見るも無残な状態に。ええ、選択を間違っていたらあの日私は圧死してた訳です。世界線はズレたのです。

 

 

あの日、死ななかった意味があるのだったら、早く教えて欲しいです。僕の苦労のチップが換金される日をただ待つのはもう嫌なのです。苦しい日々に終止符を。